は、文学者こそ科学者とともに平和と原爆禁止のための発言者であるべきことを当然とする。「原子爆弾をフットボールのようにもてあそばせてはならない」この真理は、エレンブルグがいうばかりでなく、エディンバラで開かれようとしている、国際ペンクラブの年次大会でも、そこに集るそれぞれの国の文学者たちによってつよく声明されるであろう。日本から行った阿部知二、北村喜八の両氏はこんどこそ、かつて島崎藤村がヴェノスアイレスのペンクラブ大会へ行ったときのようには振舞わないだろう。藤村は世界の文学者がこぞって反ファシズムの文化闘争を決議したその大会で、終始、日本の文学者として反ファシズムへの態度を明瞭にしなかった。日本の文学者として、日本と世界のヒューマニティーに対する自己の責任を回避した。阿部・北村両氏は、日本の文学者とその読者である知識人、労働者すべてからの信任状を負うて出発したはずである。
六月二十五日、朝鮮に動乱がひきおこされてから、日本のジャーナリズム、新聞、ラジオなどの上で平和と原爆禁止についての発言は、何となし「こうなっては、仕方がない」という風に扱われはじめた。「平和」はいつもいつもある特定の
前へ
次へ
全14ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング