父は、地震の三十分前、倒壊して多くの人を殺した丸の内の或る建物の中にい、危うく死とすれ違った。私は、鎌倉で、親密な叔母と一人の従弟が圧死したことを知った。まさかと思った帝国大学の図書館が消防の間も合わず焼け落ちてしまったのを知った。
段々彼方此方の焼跡を通り、私は、何とも云えない寥しい思いをした。自分の見なれた神田、京橋、日本橋の目貫きの町筋も、ああ一面の焼野原となっては、何処に何があったのかまるで判らない。災害前の東京の様子は、頭の中にはっきり、場所によっては看板の色まで活々と遺っている。けれどもその場所に行っては、焙られて色の変った基礎石の上から、あった昔の形を築きあげることすら覚束ない。狭い狭い横丁と思っていたところが、広々と見通しの利く坂道になっている様などは、見る者に哀傷をそそらずにはいない。心に少し余裕のあった故か、帰京して数日の間、私は、大仕掛な物質の壊滅に伴う、一種異様な精神の空虚を堪え難く感じた。
今まで在ったものが、もう無い、と云う心持は、建物だけに限らない。賑やかに雑誌新聞に聞えていた思想の声、芸術の響き、精神活動の快活なざわめきが、すーいと煙のように何処かに
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