千数百人で第一位をなし、二十二歳が最高の率を示している。
春ごろ、青少年労働者が浪費と悪所遊びに陥る傾向について諸方面からの関心が向けられた。つまりは、いくらか余分の金が入ることと、健全な慰安が日常生活に失われていることとから悪遊びを覚えた青年たちが、ついに職業をもちながら、物とりまでもするようになることもあろう。二千九百七十六名という竊盗事件の全部が、そのような原因によるものばかりでないことは常識から明かに推察される。何がこれらの青年たちを竊盗の罪に追い入れたのだろう。
生活新体制へ婦人のさまざまな力が役立てられてゆくのであるが、こういう傷ましい社会の現象に対して母性の心は痛みなしにはあり得ないと思う。母の思いはわが子の上にばかりかばい注がれる時代をすでに一歩あゆみ出している。母心の叡智も個人的なものからよりひろいものに向けられる実践力となる必要がある。
七 子供と家庭
お米のありがたさがいよいよ切実に身にしみて来た。きのう北海道から知り合いのお婆さんが上京して来ていろいろ話の末、お米のことになったら、わしらと子供は一日一合八勺ですといかにも淋しそうな表情で語った。その地方では六十歳以上と子供とは一日一合八勺ときめられているのだそうだ。近所にやはり六十を越したひとりもののお婆さんがあって、その年よりは他家の使い歩きをしたり、物を運んだり、山へ行ってきのこをとって売ったりして、ひとりの生計を立てている。六十を越したからといって一合八勺の米ではその日がしのげないので、どうか一人並に増すように願って下されということをその婆さんの家へたのんで来た。お婆さんは娘婿の家にいて、そこが隣組長をしているのであった。その計らいができて、きのことりのお婆さんは三合五勺を貰えることになった。お婆さんは手を合わせてよろこび、そのお礼にといろいろのきのこをこの秋はもって来てくれたそうだ。きのこを貰う側のお婆さんの婿がなまじ隣組の長をしていることは何と気の毒だろう。よそのひとが長をしていてくれれば、そのお婆さんのかいがいしい朝夕を十分話すこともできただろうし、したがってあんな淋しそうなあきらめた顔つきで姥捨山の糧の量のような話をしないでよかったであろうのに。私は生涯を子と孫のために働いて、今なお勤勉なお婆さんのために一合八勺の米をふやしてやりたい心をおさえかねる。
底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
1952(昭和27)年8月発行
初出:「信濃毎日新聞」(三「代用食」)
1940(昭和15)年11月18日号
「都新聞」(四「恩給と未亡人」)
1935(昭和10)年5月7日号
「信濃毎日新聞」(五「女を殴る」)
1940(昭和15)年11月27日号
「相模合同新聞」(七「子供と家庭」)
1941(昭和16)年3月8日号
その他は未詳
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全3ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング