に、一束の干うどんのために、まったく実際上の骨折をしているのだし、物価の問題、炭のこと、家庭欄が社会欄となって来ているといってもあたっている有様である。その実際にこそ銃後生活の切実な苦心と堅忍とがあるのではないだろうか。
 あとで何が不足しようともその精神のためにといえるのは他に不足のない生活の条件をもっている人たちが自分の精神の満足のための言葉という印象をあたえる。その満足をひとに強要し得る時代の柄のわるさとして反映する代用食のようなものは実際上のこころみなのだから、炭の不足、砂糖、メリケン粉の不足な現在を考慮してはじめて実質な意味を持つのであると思う。

        四 恩給と未亡人
            一応もっともだが、さて……

 三日の朝、都新聞をひろげていたら、一つの記事が女である私に特別な注意をひきよせた。それは学校教員・警察官その他待遇職員の未亡人たちが遺族扶助料をもらいながら再婚し、しかも扶助料をとりあげられぬため、内縁関係にしているのがおびただしい数にのぼるので、東京府の恩給掛はこの際徹底的に調べて、内縁でも再婚している未亡人の扶助料は即刻とりあげると声明しているのである。
 一応もっともなことのようであるが、私の心には何かしっくりしない感情が湧いた。学校教員・警官の遺族扶助料というものが、はたして子供まである一家の生計をささえてゆくに足りるほどの額であるだろうか? そうでないことの実際の証拠は昨今の学校教員の桃色内職事件でも明らかである。また諸官庁は元より、会社でもタイピストさえ年齢十七八歳、両親の家より通勤の者にかぎり採用が現実の有様であり、男の就職上の困難は、その困難が最も少い大臣の息子たちの新米勤人姿が、写真入りで新聞の読物となる世の中である。男がきっと女を喰わせ得、また女が独立心さえあれば年にかかわらず仕事がもてたというのは昔のことである。今日の切迫した社会的実相に頓着なく、再婚すれば扶助料とりあげと定っているから偽善的な内縁関係も生じるのであろう。市は赤字だといって市電従業員の賃銀を下げたが市会では暴力までふるって市議歳費値上げを決定した。府の扶助料とりあげの記事が何となし、その実例を読者の脳裡に思い出させるのは何故であろうか。

        五 女を殴る

 先日、あるひとが百貨店へ行って買物をしていたら、ついそのわきのところに一組の夫婦がいた。
 何かのことで一寸いさかいをしていると思ったら、良人の方がいきなり手にもっていた紙の丸めた棒のようなものをあげて、妻をポカポカと殴った。あたりにはどっさりひとがいる。衆人環視のなかで、その男は自分の女房をなぐったのであった。
 そのひとはそういう今日の人の気風に竦然《しょうぜん》としたと語った。
 小田急の電車の中で、パーマネントの若い女の髪をつかんで罵りながら引っぱっている男を、ぐるりから止めることもできないような雰囲気で、実にこわかったということをもきいた。
 日本がずっとまだ未開だったころは、男は自分の女房をなぐって何がわるいと思っていただろうし、癪にさわるものなら男でも女でも暴力に訴えてもかまわないと思っていただろう。一種の乱世であった明治初年の殺伐な気風の時代にはそういうことがらも多かったろうと思う。
 今日、昭和の御世、日本が東亜の指導者となりつつあるといわれているとき、国の中で首府の真中で、そういう気風が現われているということについて、私たちは何を考えさせられるだろうか。そして、要路の指導者たちはそれに対してどんな方策を考慮していられるのだろうか。
 世間の人気の動きというものこそ時代の甘くて辛い裏表を瞬間のうちに表現するのだから、女を人前でいためつけるという一つのあらわれも、決してかるがるしく見すごさせる社会現象ではない。ましてや、女が昨今のような社会の生産のために働いているとき、それと並んで女に対する封建的なあらあらしさが公然横行するとすれば、その何かの徴候として戒心されるべき社会的な意味があるのである。

        六 社会への母心

 去年の冬、私たちに忘られない経験を与えた木炭も、この秋からは切符制になって、不正と不安とを一掃する方策が立てられた。あらゆる面で、一般の生活の最低限の安定を保とうとする努力が、新しい政府へ向けられている一つの要望と共力との焦点であろうと思われる。
 橋田文相が、まず小学校教員の待遇改善の問題をとりあげているのも、このことを語っているのだろう。
 けれども、本年に入って、青少年の犯罪の増したことは、世人に深い反省を求める現代の事実ではなかろうか。この半年に青少年の犯罪は一万を突破して昨年後半期より二千百二十六名の増加であり、筆頭が竊盗《せっとう》。そして、職業別にみると、有職者が六
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