ことになり、軍需産業に動員されていた五百五十万人の労務員は、殆んど全部が一旦は職場を失った。家々には、長い間待たれていた良人や父兄たちの姿が動くようになった。これは、辛棒に辛棒して来た婦人たちにとって、どんな喜びであったろう。前線、銃後の区別なく、互に互の命を気づかって暮していた家庭は、再び家庭らしいものを形づくることが出来るようになったと思われた。しかし、現実生活の隅々が落着いて目に映りはじめた時、婦人は男が還ったという喜び以上の、新しい驚愕と不安に、心づいたと思う。終戦直後、大きな軍需会社は即日職員の解雇をした。そして、一人当りいくらかの纏まった金を、解雇手当として与えた。軍人は部隊の解散に伴って沢山の資材を背負い出しもしたし、金も貰った。特に将校階級がトラックを使ってまで、軍の物資を分け取りしたことは輿論を激しく刺戟して、当時陸軍大臣が人民に謝罪をしたほどであった。残額は特殊預金とされたにしろ、戦災保険は五千円支払われた。解職手当、復員手当など、それぞれの家庭としては纏まった金が齎らされたであろう。けれども、これに対して、日常生計費は、日一日と高くなって、昭和十一年を百とすれば、
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