その他総てこの時代の婦人たちの作品である。けれども、これらの卓抜な文学的収穫を残した婦人達が、当時の社会でどういう風に生きていたかといえば、それはまことに儚《はかな》い一生であった。どんな文学史を探しても、紫式部の名前は分らない。藤原某の娘であったということが分るだけで、彼女の本名は何子であったのか、何姫であったのか、決して記録されていない。あのような天才を持っていた清少納言にしてもそれは同じである。この時代の歴史の上に父の姓とともに固有の名を記されているのは、極く少数の、藤原氏直系の娘たちだけで、いずれも皇后、妃、中宮などになった人達ばかりである。
 藤原氏は、宮廷内のあらゆる隅々まで一族の権力を伸張させるために、抑々《そもそも》藤原鎌足の時代から、自分の娘たちを天皇の母親としようと努力して来た。皇后にするか、さもなければ中宮として、血をとおして一家の権力を扶植して来た。その必要から、自分の娘たちの身辺を飾り宮廷社会の陰険な競争に対してよく備え暗黙の外交的影響と文化の力で、娘の勢力を確保するために才智の優れた、性格にも特色のある婦人達を官女として集め、宮中の人気を集注し、社交的なあら
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