を設立した津田梅子が、六つの歳に岩倉具視の一行とアメリカへ留学(明治四年)したり上流婦人でも男に劣らない一般教育の基礎を持つ時代があった。今日、明治の先覚的な婦人として我々に伝えられているキリスト教関係の多くの活動的な婦人は、殆ど皆この前後、いわゆる明治の開化期に、進歩的な教育を受けた人々なのであった。若し日本が、そのようにして歩み出した男女平等の道を、正直に今日まで歩み続けることが出来たならば、日本における婦人の諸問題は、どんなに変った現われをもって、今日の私たちの前にあっただろう。もし、その道が可能であったのなら日本人民全体が決して今日の困難を見ないで、民主化されていたに相違ない。
 日本の明治維新というものはその革命としての歴史的な性格の中に極めて強く、大きい割合で過去の封建的なものをそのままで持ちこした。一応は、封建より近代生産経済にうつるブルジョア革命のようであったが、その最も根柢をなす農業と土地の問題、生産経済の基礎などは、封建時代の制度のままその上へ近代国家としての日本が、おかぐらの二階建として据えられた。例えば土地の問題を見る。日本は封建時代より大地主たる大名があって、
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