れた女性達が現われた。けれども、小説というような、社会に対する客観的な眼、自分の生活に対する省察と洞察とを要求されるような精神上の労作は、封建の数百年間、日本婦人の可能から、奪われていたのであった。
徳川の政権は次第次第に揺ぎ出した。遂に黒船に脅かされ最後の崩壊の兆を示した(一八五三)。日本の歴史を見て、深い驚きにうたれることは、ヨーロッパにおいて人文復興のルネッサンスが起り、近代に向う豊富な社会生活と文化とが発生しはじめた丁度その頃に、徳川の完全な鎖国政策がはじまったことである。ヨーロッパが、まだ蒙昧な、半ば野蛮時代の生活をしていた十一、二世紀に、日本は既に藤原時代の社会生活と文化とを持っていた。従って、当時の世界で、日本は確かに支那に次ぐ文化の先進性を持っていたのであった。ところが、肝腎の近代の黎明であるルネッサンス前後に(十六世紀)日本の支配層が小さく安全に自分の権力を確保しようとして、厳しい鎖国政策を執ったために、ヨーロッパがその後急速に近代化した三、四世紀の間を、日本は全く孤立して、独善的に生産も経済も全くおくれた土台のまま封建社会の生活に過して来たのであった。
徳川中葉
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