いるのだろうと思っていた。しかし政府がしようとしていることはそうではなかった。その金で、戦時公債償却をするということである。それから軍需生産者に、補償金として支払われるということでもある。公債を私共の家庭で、どれ程持っているだろう。解説者は、大衆の中には一割位しか保有されていない公債であると言った。あとは大銀行、大企業家が保有している。その公債を償還するといえば、そのいきさつは最も単純な頭でも判断される。政府は、右の手から取った金を、同じ人間の左の手に握らせ、返してやるのだということは。……軍需生産に対する補償にしても、右の足に穿いていた下駄を、左にはきかえるというだけのことである。財産税について見れば二万円を限度としているらしいが、今日の金で二万円といえば、一円が十倍になっているとして二千円の実価に過ぎない。二千円と換算しなくても、日本の農家はこの数年間に経済事情を一変させた。二万、三万の現金を持っている農家は少くないであろう。都会の勤人にしろ、仮に今日の価格で見積れば、体一つにさえも一万円近いものは着けて歩いてもいるだろう。二万円という査定はどのようにされるか、これは重大な問題でなければならない。そしてこの財産税もつまるところは、また形を変えて最も富める者から順に大衆へと返されて行く。こうして見ると、それが発表された時には、さも財閥に対する正当な良心ある統制のように思われた戦時利得税にしろ、財産税にしろ、細かく本質に触れて観察すれば、それは悉く、大衆課税としての性質を持っている。この点はラジオの解説者が力説したところであった。
物価の狂気のような昂騰につれて、昭和二十年十二月は一ヵ月に一億円の貯金引出しが行われた。人民大衆は、命に代えた労苦や、はかない僥倖によっていくらか蓄積した貯金を、今日そのような勢いで消耗しつつある。そういう人民大衆が最も直接に最も容赦なく戦時利得税にしろ、財産税にしろ支払わされる立場になっている。……しかも、その金の行方は実際的には何の課税もないと同じな大財閥、大企業家に、政府が再び形を変えて払戻してやる仕組になっているのである。財閥解体は一つの表面上の見せかけに過ぎない。なぜならば現に貿易庁というものが設置された。賠償物資、見返り物資の輸出入を司り、国内生産の要を握るこの役所に、頭として据えられたのは三井である。三井は、日本の再編成された全企業を統率しようとしている。この事実は日本の政府が、一貫して財閥の走狗であり、財閥の利益を擁護することによって自分の利益をも擁護している人間の集りであるという事実を、告白しているものだと思う。現在の支配者の利害は、全人民の幸福と利害と一体ではないのである。
臨時議会は民主化する日本の歩みを示すように、労働組合法案を通過させた。この法案によって、ようよう勤労者が自分達の権利を自覚し、それを組織し、企業者たちの全国的な生産サボタージュと闘う行動に移しはじめて来た。昨今新聞が伝えているのは何かといえば、二月一日の「四相声明」である。これは労働組合法によって、ストライキの権利を持ち、集団的行動の自由を獲得した勤労大衆を威嚇しようとして「暴行脅迫又は所有権の侵害の虞ある場合にはそれを不法行為として断乎取締る。」という声明が、内務、司法、商工、厚生四人の大臣によって、発せられたのである。新聞を一枚でも読む人は、このような取締方針を布いて、生産に従う人々が生産を高めようとするために、企業家に対してとる必要な行動を統制している権力が、たった一つも資本家のサボタージュを取締る方策を立てていないことに注目するであろう。総ての新聞は、この点を衝いた。若しストライキが起るとすれば、若し大衆的行動が現場に起るとすれば、今日、それは勤労し生産する者が単に労働条件を改善するというばかりでなく、社会的必要を満たすためにより能率を増進し、より生産を増大させて、生産の真の民主化を計ろうとするためである。よりよく働こう、よりよく社会のために生産し、不安を解決しようとする勤労者らしい自主の熱心をもって、労務階級の利害判断と共にサボタージュしている企業家を刺戟するためである。総てのストライキと勤労者の行動の根本には、企業家の悪質なサボタージュがある。ストライキする労働者に対して、彼等は工場閉鎖で脅かす。働かないで食えるのは、企業家たちである。政府が最も「断乎」糾弾すべき本体は、このサボタージュのそれにある。しかし政府は、このことについては沈黙を守っている。自身、その企業家サボタージュと双生児《ふたご》の性質を持っている民主化へのサボタージュをやっている政府が、どのような決定的方法を執り得るというのだろう。
最低賃金というものが公表された。二十五歳から五十歳までの男子最低四百五十円。これは成程今まで
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