孔《あな》の明いた米袋を継ぐために集るとか、婦人会が地区別に工場へ手伝いに出るとか、陸軍病院へ洗い物、縫物などのために動員されるとか――当時、婦人たちの一日は、恐ろしいばかり各方面から求める労働力の細切りのため、ちぎれちぎれになって、家らしい休安の思いは消し去られた。
食糧問題が円滑に進まないために、もうこの頃から買出しということが始まった。配給で足りない部分を、女が近在の農家へ行って、藷だのその他の野菜を買込んで、自分達の背中で補って行くという仕事が始まった。一人の女性の生活を取ってみれば軍需生産への動員、家庭労働への負担、買出し、防空演習、その他への動員などと二重三重の働きが負わされたのであった。こうも落ちつく暇のない毎日の間に、隣組からの強制貯金とか、厖大な数字に上る国債の消化とかいう仕事も、つまるところは一家の主婦、さもなければ、家計を援けて働いている女子の勤労者のやりくりに、解決を俟つ有様となった。家庭から先ず男が戦線に奪われた。その奪われた男のあとを埋める者として婦人が立上らなければならなかった。けれども、その立上った手や足や指の一本一本に、そのように大きい負担がかけられていたのであった。
婦人の一般の健康状態は非常に悪くなった。人口に対する結核の罹病率、流産、乳幼児の死亡率などは無理な勤労、奉仕労働などの結果昂まって来たのである。けれども、ここで私達が悲しみと憤りとを以て思うことは、戦争遂行者たる支配者たちがこの事実を、どんなに私共人民の眼から隠そうと、努力して来たかという事実である。食糧の問題にしろ、日本の平均男子一人当、平均女子一人当の基本的なカロリーは、御用学者達が権力に媚びた割出し方によって、実際の必要が三千五百カロリーから五千カロリーであるにも拘らず、千数百カロリーで済むという風に規定された。そして配給はそれを基準にしている。又職業病の正直な調査の結果は、ベンゾール及びその誘導物に対して、婦人の肉体は極めて抵抗力が弱くて、生殖機能を破壊されるということを明瞭にしている。ベンゾールばかりでなく、軍需関係の化学的部門で人間の体に有益なものは殆ど一つもない。それはそうであろう。それは人を生かす力ではなく、殺す道具として作られているのだもの。けれども厚生省はそのことについて、決して公平な見解を発表しなかった。公平な施設を急いで作る方向へと、輿論を起さなかった。驚くべきことは、統計局でさえも、昭和十八年以降は世間に向って発表すべき正確な統計を、あらゆる部面で持っていないということを告白している。これ一つを見ても、日本の政府は自分達の利益を守ろうとして戦争を強行して行くためには、人民一般の生活に対してどんなに無責任であり、どんなに破壊的で、自暴自棄な方向を取っていたかということが明瞭である。統計一つさえもなくて、どうしてこれ程厖大な数百万の人間の動員計画が、人間らしい条件によって保たれて行くことが出来よう。
どんな愚かな母でも真面目に子を愛すれば、子を護るための智慧は不思議な形で発揮される。この女子勤労動員、学徒動員が激しく行われ始めた時に、一番不安を感じて、政府の方針に賛成出来なかったのは外ならぬ日本の母親たちであった。母親達は自分の可愛い息子が特攻隊となって殺されて行くこと。それを親たちは、どんなにいじらしく、止め難く、それ故猶いとしいことと思ったろう。可愛い娘達が動員されて工場で働く。それはよいとして、道徳的に低下した環境や、若い女性のためには苦痛の多い設備の場所で長時間働かされるということについては、当然な不安と不賛成とを感じた。今日当時の雑誌を繰り拡げてみると、何と到るところで「母親の再教育」ということが言われているだろう。娘や息子は、積極的にあらゆる戦時動員に応じようとするのに、家庭の母親がいつもそれを抑えるような気持を持っていることについて、陸軍や海軍の軍人、教育家、職業紹介所の役人達は口を揃えて、日本の母親は自覚しなければならない、子供を軍需生産へぶち込むことを躊躇してはならない、ということを、もっと違ったもっと英雄主義的な言葉で繰返し繰返し述べている。その消極的だと言われる母親が、現実にはどういう生活をしていただろう。働いて来る子供に、せめて体の足しになる食物を食べさせようと、自分で買出しの苦労もしていたし、防空演習も無理にやっていた。婦人会の動員に応じて、大して効果もないような眼の先の働きにも追使われていた。出来るだけどっさり買わせられる債券の消化に心を砕いていたのであった。こうして見れば若い婦人――生産面へ直接吸収された婦人達がさまざまの想いをしながら生きていた間に、年とった家の女性たちもやはり涙を抑え、歎息を笑顔にかえて生きぬいていたのであった。
婦人の結婚難が、めきめき増大して来た
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