目的のためにさまざまに努力したけれども、今回第二次世界大戦敗北による、ポツダム宣言によって治安維持法を初め沢山の悪法が撤廃される時まで、婦人独自の力で、この悪法を打破ることは遂に出来なかった。日本では、婦人が地方自治体の政治に干与するための公民権さえも持たなかった。つい先頃一九三〇年(昭和五年)全国町村長会議は、婦人の公民権案に反対を表明している。翌一九三一年満州に対する日本の侵略戦争が始まった。それからというものは、誰も知る通り、日本における婦人参政権運動或は憲法撤廃に対する婦人の活動は全く終熄させられた。婦人参政権の活動家たちは、精神総動員を初めあらゆる戦時総動員に狩り出されて、戦債の買込遊説だの、貯金の勧誘だの、全く軍事協力者として動員されてしまったのであった。最近の十四年間に、日本の婦人の解放運動は、辛じて母子保護法を通過させただけであった。
 さて、明治初期の明るい、しかし未熟の男女平等の社会観念は、このようにして重く暗い日本の封建の土の上に根を下して、世界各国とは全く違った畸形な実を実らし始めたのであったが、この過程に民法と刑法とは、どんな工合に、婦人というものを扱っただろうか。
 民法は一八九六年(明治二十九年)四月、日清戦争後一年に制定された。刑法は一九〇七―一九一二年(明治四十年―四十五年)の間に、日露戦争後二年から着手された。
 民法における婦人の立場というものは、はっきりと文部省の教育方針を照り合せ、しかも最もその消極的な害悪の多い面を照返している。例えば第十四条から第十九条に至る妻の無能力ということに関する条項、第八百一条から第八百四条に至る財産に対する妻の無権利、第八百十三条の離婚についての不平等な規定、第八百八十六条から第八百八十七条に至る親権において母の権利の制限されていること、第九百七十条その他相続或は遺産に対する婦人の差別的な規定、或は結婚届の規定の中にある婦人に不利な内縁関係の規定など、今日婦人の社会的不便を来している幾多の条項がある。婦人は、未成年時代には勿論、総てのことを親の権利によって支配されている。法律上の成年(二十歳)になって、やっと婦人も民法上一人前の能力者になる。と思うと、現在のような結婚難の時代でなければ、それらの若い婦人達は、あらましその前後の年齢で結婚して家庭に入る。妻となった若い婦人たちは、忽ち民法上能力を喪失し、人妻の「無能力」に陥ってしまう。そして、何か女性にとって不幸なめぐり合せが起るとそのことごとに結婚の条項において民法が規定している総ての不合理と片手おちとに苦しまなければならない。夫婦の愛にかかわる貞操の責任に関してさえ、妻は夫とちがった扱いに立たされている。夫に死に別れた時、戸主となるものは自分の息子であるか或は養子であるか、いずれにせよ、その時婦人は相続者の支配の下に置かれる立場になっている。徳川時代女は三界に家なしといわれた。それは、果敢《はか》ない女の一生の姿として今日考えられている。けれども、現在行われている民法の実質は、結局において今日なお女子を三界に家なき者として規定している。それぞれの婦人たちの生涯の努力と実力如何にかかわらず社会的に能力なき者と見なしているのである。
 今日民法における女子の不平等な地位を改善したいという激しい要求が現われているのは、全く自然なことであると思う。何年か前穂積重遠博士が民法改正委員会を組織して、『民法読本』という本も著し、民法における婦人の地位の改善のための努力を試みたが、明治以来の保守的な日本の支配権力は、この委員会の仕事を、蝸牛の這うようなテンポで引っぱった。
 第二次大戦の間に民法における私生子の区別が撤廃された。なぜ沢山矛盾を持った民法の中で、特にこの条項だけがその忙しい時期に取上げられたのであろうか。私たちの常識は、一考して深く頷くところがある。日本の家族制度、財産の相続を眼目にした親子関係の見方においては、嫡出子と庶子、私生子の区別は非常に厳重で、生まれた子供は天下の子供であるという人間らしい自由さを欠いている。けれども、戦争が進行して総ての若者を動員し、彼等の命を犠牲として要求した時に、権力は相続者としての子供を奪われる点を考える親の思惑を憚って嫡出子と私生子の区別をかたくしては不便至極となった。又私生子が民法的の区別のために、彼等の少年時代から受けて来た暗黙の苦痛、その苦痛から出発している社会の不合理に対する洞察力というものを、権力の命のままに生命をすてさせるについて一種の精神的抵抗と感じた。それ故に、死なすという単一な軍事目的のためには嫡出子も私生子も区別はないという根拠から私生子の差別を削除したのであった。公文書その他に、士族、平民と書くことを廃止にした。この理由も同じ由来をもっている。
 こ
前へ 次へ
全28ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング