いるかという証拠である。明治社会の発達が、繊維工業によって、婦人の最大の犠牲の上に発展して来たのと並行して、日本の後れた工業は、半ば手工業的に、屋内労働的に小工場を日本中にばら撒いた。そこでは昔ながらの徒弟制度や、年期や、半封建的な青少年の労働条件が存在している。戦争が始まって、それらの小工場はみんな軍需生産の下請工場となった。急に生産を膨脹させると共に、労働の基本としたのはやはり賃銀の安い青少年労働者、そして婦人達であった。この青少年と女性の勤労を戦時的に利用する計画というものは、既に十数年前から着手されていた。大河内正敏は、今日戦争犯罪者として監禁されているが、彼が計画した「農村の工業化」の方式というものは、世界に類のない方法であった。最近まで日本の農村は知られている通りに一般には貧困であったし、文化の程度も後れさせられていた。理化学研究所長大河内正敏の計画は、軍需産業を都会に集中させて置くと被害を被るから、各地方に分散させようという表面の目的の外に、田舎の村の中に小さな作業所をどっさり拵えて、非常に簡単な分業を組織し、農村の婦人達がどんなに未熟練であっても、すぐその機械の操作を覚えて働いて、軍需生産の全国的な能率を上げて行くようにという計画であった。この計画について、私達婦人が当時も非常に驚いたことは、大河内は日本の農村における婦人達の世間知らず、忍耐力、従順を利用して、真面目に働かせることは有利であると、その著書の中に明言していることである。同時に大勢の労働人員を一つの工場の内に集めると、集団の力を恃《たの》んで近代的な労働者の自覚が出て来て、使う方としては不便になって来る。農村の村々に、切離して少しずつ女を働かして置けば、いつまで経っても、それらの勤労婦人達は、都会における工場の労働婦人のように団結することも知らないし、要求することも理解しない。その上、その労働に対する賃銀はそれぞれの「村の経済状態を混乱させないために」その村で女が内職をして得る賃銀に均しいものに止めて置くことが最上の方策であると言われたのであった。こういう婦人の労働力の搾取の方法は、おそらく、今日の世界に類のないものであったろうと思う。
 アメリカでも、ドイツでも、イタリーでも第二次の世界大戦においては大幅に婦人の力が動員された。特にイタリー、ドイツにおいては日本と同様に侵略戦争を始めた
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