起さなかった。驚くべきことは、統計局でさえも、昭和十八年以降は世間に向って発表すべき正確な統計を、あらゆる部面で持っていないということを告白している。これ一つを見ても、日本の政府は自分達の利益を守ろうとして戦争を強行して行くためには、人民一般の生活に対してどんなに無責任であり、どんなに破壊的で、自暴自棄な方向を取っていたかということが明瞭である。統計一つさえもなくて、どうしてこれ程厖大な数百万の人間の動員計画が、人間らしい条件によって保たれて行くことが出来よう。
どんな愚かな母でも真面目に子を愛すれば、子を護るための智慧は不思議な形で発揮される。この女子勤労動員、学徒動員が激しく行われ始めた時に、一番不安を感じて、政府の方針に賛成出来なかったのは外ならぬ日本の母親たちであった。母親達は自分の可愛い息子が特攻隊となって殺されて行くこと。それを親たちは、どんなにいじらしく、止め難く、それ故猶いとしいことと思ったろう。可愛い娘達が動員されて工場で働く。それはよいとして、道徳的に低下した環境や、若い女性のためには苦痛の多い設備の場所で長時間働かされるということについては、当然な不安と不賛成とを感じた。今日当時の雑誌を繰り拡げてみると、何と到るところで「母親の再教育」ということが言われているだろう。娘や息子は、積極的にあらゆる戦時動員に応じようとするのに、家庭の母親がいつもそれを抑えるような気持を持っていることについて、陸軍や海軍の軍人、教育家、職業紹介所の役人達は口を揃えて、日本の母親は自覚しなければならない、子供を軍需生産へぶち込むことを躊躇してはならない、ということを、もっと違ったもっと英雄主義的な言葉で繰返し繰返し述べている。その消極的だと言われる母親が、現実にはどういう生活をしていただろう。働いて来る子供に、せめて体の足しになる食物を食べさせようと、自分で買出しの苦労もしていたし、防空演習も無理にやっていた。婦人会の動員に応じて、大して効果もないような眼の先の働きにも追使われていた。出来るだけどっさり買わせられる債券の消化に心を砕いていたのであった。こうして見れば若い婦人――生産面へ直接吸収された婦人達がさまざまの想いをしながら生きていた間に、年とった家の女性たちもやはり涙を抑え、歎息を笑顔にかえて生きぬいていたのであった。
婦人の結婚難が、めきめき増大して来た
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