実体は、何たる悲劇的めいたものとなるだろう。勤めている男女の従業員は、幾らかの割増しのついた給料を家へもちかえるとしても彼が、知人の安否を問い合わせる一枚のハガキは二十五銭になる。更に私たちが、周到な理解をもって知らなければならない重大なことがある。それは、工場、官庁その他の公共的な場面に働く勤務者が、私たちと全く同様な生活の必要から一定の要求をすると、当事者たちは、その要求を拒絶出来ない代り、忽ち、その結果を、一般市民これを見よ、とでもいう風な、其々の部門での値上りとして反映させることである。
 官僚的、財閥的なこういう技術が、もし私たち人民に仲間われをさせ、一般消費市民と勤労者、農村と都会との対立を生むならば、これほど反動のよみがえり、専制支配の復活に好都合なことはない。何故なら、それを日本人民には、自治の能力、民主の方法がまだ分らないという口実につかい得るのである。
 今日心ある人々は皆正当な、合理的で平和的な人民の食糧管理が大切であると、考えている。そのために、秩序と組織性をもって、町から村へ、村から町へと民主的に統一された線の出来なければならない事を痛感している。
 政府は不手際な強制供出方法によって供出を拒んだ農民は投獄されなければならない規定までこしらえた。都市消費者が、供出しない農民を怨み、窮した揚句に都市内が騒がしくでもなるとしたら、どういう結果になるだろうか。その動揺こそ、今は表面から姿をかくしながら、虎視眈々と機会をうかがっている旧軍閥、反動者のつかむところとなる。「鎮圧しなければならない」口実を、人民自ら呈供するほど、今日の日本の民衆は無智であるだろうか。或る種の似而非《えせ》政治家は、食糧その他の人民管理委員会というものを、さも革命的なもののように誇張して、日本の民主化の今日の段階を無視した二重権力というような理論をつくり上げている。歴史の必然のない、観念の社会主義へ挑発している。私たちがこの日本を民主化しなければならないという今日必然の条件は、日本の明治維新当時、ブルジョアジーが、半ば封建的な自身の歴史性から中途半分にしか日本を近代民主化させて置かなかったというところから起っている。婦人を、男子と等しい社会の成員として認めることさえし得なかった社会の半封建の性格が、今日までのこっているからである。出発の初から封建的であった支配階級は、その
前へ 次へ
全56ページ中54ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング