い、その場でとりあげたのであったかどうか、ともかくそれっきり、その桃色リボンで綴じた小説は私の前から消えてしまった。夏の海辺の夜の中を若い男と女とが散歩をしている。女は白い浴衣で団扇をもち、漁火が遠く彼方にチラチラ燦いているという極めて風情のあるところで、肝心の帳面ぐるみ、小学生作家の空想は明治時代らしいモラリストである母によって中断されてしまったのである。
 ずっと後になってから私はその頃のことを思い出し、母にきいたが、母は一寸ばつのわるいような笑いかたで、へえそんなことがあったかしらと云い、もう自分がそれをどう始末したのか思い出すことも出来なかった。
 読めばふき出すようなことが書かれているのに違いないから、それは、その帳面を母がとりあげたことも、無くしたことも残念とは思っていないのであるが、今日の心持でこの些細な事件を回想すると、そこに自ら大人の生活と子供の生活との関係というものがはっきり現れていて、寧ろその点が非常に興味ふかく思われるのである。私の育ったような中流の環境にあっては、子供は大人の知らないうちに、大人の知らないことを、大人の心づかない場所で知って、育って来ている。壮年の父と母が所謂建設期の熱をもって、活々と精力的に生活を運転している中に子供もあって、しかもそういう親達の社会的な利害打算とは無関係に子供は子供で、自身の世界をつくって行く。謂わば、大人の知らないうちに子供は大きくなっているのである。
 私のその小学生の恋愛小説にしろ、決して親たちにかくれて書いていたのではないし、母もきっと毎日何度かその座敷をとおるたびに、六七寸高くなった一畳の張出しのところで鏡台と並べて私が母の小机を据え、その前に坐っているところは見かけていたであろうと思う。だが母はまた母の関心事があって、いつもそういう私の元禄袖の後姿だけは見て、座敷を出ればもう忘れて立ち働いたりそれなり外出したりしたのだろうと想像される。
 小学校に入れた時からもう六年になるのを心待ちにし、小学でも出たらこうと一家の生計と結びつけて、その子の身のふりかたを考え、成長を見守っている勤労者の家庭の中での大人と子供との関係と違うところがそこにある。私は、その点に今は社会的な意味を見出し、回顧するのである。

『中央公論』に処女作として発表された「貧しき人々の群」は、十七から十八にかけて書かれたものであ
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