見られた。まして、もう少しで自由になれるとき、獄死した共産主義者たちに対して、尽しきれない遺憾が表明された。それは、自然で、真実の心であった。
入獄していた三木清氏が、解放の日を待たず死去された。戸坂潤氏も、死去された。三木清という哲学者は、西田幾多郎の哲学の解説者であり、戦争中は南方に出かけたりしていた。最も進歩的な階級の哲学である唯物弁証法の哲学に対して、日本で一時大流行をした西田哲学というものは一種の観念的哲学であり、自然と社会に対する進歩的な認識を助けるというよりも、それを混乱させる役割をもった。それが、西田哲学の歴史における性格である。
三木清氏に、一人の娘さんがある。やっと女学校ぐらいの年頃で、父親の入獄中、疎開先の埼玉県の農家に一人で留守していた。夫人は早く死去されたとかきいた。さし入れ、その他の世話は、娘さんの稚い心くばりを、東京市内の某書店につとめていた或る人が扶けて、行っているという話をきいた。三木氏の義理の兄弟で帝大農学部教授がある。どうして、その人が、小さい娘一人をかばって世話をひきうけられないのだろう。おどろいて、不思議に思った。「やっぱり、こんな時勢だか
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