者の像などはない。
明治末期から大正にかけて、日本のブルジョア・インテリゲンツィアの文学の一つを代表した作家夏目漱石は、文学的生涯の終りに、自分のリアリズムにゆきづまって、東洋風な現実からの逃避の欲望と、近代的な現実探究の態度との間に宙ぶらりんとなって、苦しんだ。最後の作「明暗」は、ただ現象ばかり追っかけるリアリズムでは現実を芸術として再現することさえ不可能であるということを示している。
漱石は、今日の歴史から顧みれば、多くの限界の見える作家であるが、知識人の独立性、自主性を主張することにおいては、なかなか強情であった。官僚にこびたりすることは、文学者のするべきことでないという態度をもっていた。東京帝大教授として、文部省の愚劣さを知りぬいていたから、そういうところからくれる博士号などは欲しくないと云って、ことわった。
同じ時、三宅雪嶺という哲学者が博士号をもらってうけた。ことわるほどのものでもなかろう、と笑って受けて、腹が大きいとかほめたものもあった。この雪嶺は、国粋主義者で、中野正剛を婿にした。これもことわるほどの者でもなかろう、というわけだったのかもしれない。誰かから、立派な
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