ごう》の裡で群集の感情にふれ、自分の感情をも吟味し、こんな不如意をどうしてこんな元気でしのげるかという一般的なおどろきから、やがてその理解に入って行く塩梅とは、どこやらちがうものがあった。そんな違いも互に認めあっていて、諧謔《かいぎゃく》の種ともなって来たのであったが、今、突然朝子にだけそこでの生活を一層承認し保証する意味をもつ居のこりの可能が示されたことは、朝子自身に亢奮なしで感じられないとおり、素子には何か自分だけ三年の果に本の荷箱と一緒に荷って放り出されたような、沮喪させられる切なさであることもわかるのである。素子がひとりかえるとすれば、それは文字どおりのひとりで、生活においても、心においても、朝子とはちがうものとして、朝子を承認したものに承認されなかったものとしての自分を自分に納得させなければならない。しかしそれは素子にとってどんな苦痛だろう。その苦痛が、情愛の問題より深刻に二人の人間としての精神に切りかかって来ているものであることが、さっき重い扉を押してトゥウェルフスカヤの通りへ出た時から朝子には犇《ひし》と感じられているのである。うっかり考えこんでいるので、朝子は自分がもう
前へ 次へ
全34ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング