ろう。それらを眺め、感動している自分の心のニュアンスの相違が、新しいおどろきでその晩は朝子をうった。こういう精気溢るる情景にふれる時、この三年の間朝子が胸を顫《ふる》わしながら思って来た第一のことは、ああこれをこのままみんなに見せてやりたい、そういう激しい願望であった。このよろこびをうつしたい、伝えたい、そしたらどんなによろこぶだろう。そういう強い願望であった。みんなというのはもちろん朝子の生れた土地のみんな、こういうよろこびをよろこびたいと思っている正直なみんなのことで、例えば今劇場の円天井をとび交う歌声をきいても、朝子の深い感激にはまぎれもなく、自分のほかの幾千幾万のここにい合わせない人々の心のよろこびたい熱望が引き剥せない訴えの裏づけとなって感情に迫って来ているのであった。こういう感動の刹那、朝子はいつも自分の素肌の胸へわが生とともに歴史の明暗をかき抱くような激しい情緒を経験するのであった。
  おお
  われら 若い者
  われら 若い者
 バルコニーではまだ歌っていて、しかも初めよりはだんだんうまく歌っている。
 朝子は凝っと聴いていて、やがて颯《さ》っと顔を赤らめいきなり涙をあふらした。
「どうかした?」
 並んでいる素子がきくのに、朝子は黙って首をふった。若者の歌やよろこびの光景は、ここへ来て十ヵ月ほど経ったとき東京で自殺した弟の保の面影を痛惜をもってまざまざと甦えらしたのであった。それに連関して朝子の心には声なき絶叫がひびいた。われら、いつの日にかこの歌をうたわん。――われらというのは、やはりこのわれら自分たちをこめて遠いところにいる幾千、幾万だと、朝子は切実に感じるのであった。
 舞台では引続いて、三幕ものの戯曲が演じられた。それはワーロージャという青年が、自分の個人的な行動からその列車にのり組んだ仲間全体の計画を齟齬《そご》させた責任を感じて、自殺しかけて失敗する。死ねなかった彼は、その責任を償うために或る重要な献身的任務につく過程を真面目に扱ったものであった。ファジェーエフの小説にかかれた当時からは十何年か前の時代がその背景となっていた。ワーロージャに扮した青年俳優は、一人の娘をめぐって、そのものとしては善意な侠気が、政治的な紛糾の種となってゆく、その見さかいのつかなかった若い心の動きと悔恨とを巧みにとらえて表現した。見物席は自分の場合のことと
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