りこれまでのとおり毎日遠方の出版所へ定期刊行物を予約に行ったり、役所へ行ったりした。そんな場合、朝子は自分の生活にとってそれ等の事務的な用件の現実性が全部遠くなったような奇妙な心地と、もしかしたら素子のためにこのようなことをしてやる最後かもしれないという生活の転機を自覚した名状しがたい心持とを、同時に経験するのであった。
火曜日の夕方、出がけに素子が外套を着ながら、この頃では珍しいあたり前の調子で、
「今夜はどうする?」
ときいた。一週に二度ずつオリガという女友達のところへ行って、素子は読んでいる小説の俗語の云いまわしをきいて来るのであった。
「さあ……」
朝子も立って来て、身仕度をするのを見ながら、
「どっちでもいいけれど、私は――」
「おいでよ。この間もオリガさんがきいてたから。何故この頃来ないのかって」
「じゃ行くわ、二時間もして行くわ」
七時になると、朝子は身仕度して、城壁の傍の広場まで歩いて、そこからバスに乗った。市の外廓に向うバスはその時刻にはごく空いている。市街の中心を大分出はずれた大きい四辻で降りて、人通りの疎な、薄暗い往来をすこしゆくと、古風な彫物の窓枠をもった木造の家があって、寂しい板囲いの塀がそれにつづいている。板囲いの木戸を入ると、楡の大木の生えた内庭があって、オリガの住んでいる二階へあがる木の段々が、いきなりその内庭へ向って開いているのであった。階下に住んでいる家具職人の窓から洩れて来るぼんやりした光をたよりに一段一段のぼって行って、ドアをあけ、天井の低くかぶさった小部屋の灯の下に白いブラウス姿でいる血色のいいオリガの顔を見たら、朝子は思わず、
「ああ来てよかった!」
そう云って、オリガの堅い力のある手を握った。
「今更みたいに!」
オリガは笑いながら、テーブルのむこうの素子を顧みた。
「私のところは、いつ来ても、来てよかったところじゃありませんか、ねえ、モトコさん」
素子は何とも云わず煙草をくゆらせ、しかし朝子が現れたときの最初の一瞥でやはりその心の中まで調べずにはいられないような視線を走らせたのであった。朝子は、オリガとあれこれ世間話をした。オリガは勤人で、その小部屋には寝台と一つの本棚と箪笥とその上に飾られた何枚かの写真とが、僅かの家具類と共にあるだけであった。そんな生活の道具だてのなかに一種の居心地よさがこもっていて、さ
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