互いの等しい価値で運転するならば、あとの五時間は誰かのために働いていることになる。私達は十時間働かなければ賃金をもらって食えませんから、自分のために働いているように思いますけれども、それは実は五時間でできるのであって、あとはすべての生産品は、生産手段をもっている投資家、株主、会社の社長などの利益のために商品として売られて、それは私共の働く賃金のなかにはくり込まれておりません。生きるために働く時間にはくり込まれていないわけです。そこで五時間で私達が暮せるならば、五時間だけの月給をもらって五時間で働くのをやめて、そしてあとはいろいろな文化的な、映画を見るなり音楽を聴くなり、何といっても日本は科学が貧弱なのだからうんと科学の勉強をするなりすればよい。けれどもそれはやる間がございません。やはり十時間働かなければならない。それはなぜか。そうすると一時間の賃金と申しますものは決して一時間に生産できるものの値打を現わしておりません。それは資本家が働く人を買うことのできるその国の一番低い条件、標準を示すにすぎないのです。ですから十時間働かなければ私共は自分ひとり生きられないし、家族も生きられない。けれ
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