かに、いわゆる久遠の幸福を感じようとする。だから、幸福とはどういうものかという問いに答える人々の言葉は実に区々で、ある人は幸福とは各人の主観でだけ感じられる一つの心境であるというし、他のある人は、最低限の衣食が足っていれば幸福であるとし、第三のひとは、健康こそ幸福であるというであろう。神の恩寵を感謝する心という宗教の心を、幸福の内容としている人もある。
 この現象から、よく人は、幸福は本人が幸福と思うことのうちにのみあるもので、それがなにの中にあるかということは問題にする必要はない、という。
 ところで幸福というものは一体私たちの生活にどんな形で存在しているものなのだろう。幸福は普通私たちに感情として湧いて来る。幸福感という表現がある。心情的な感じであるから、それは固定したものではなくて、私たちの日常のあれこれをかいくぐって流動しているものである。今感じられた幸福感も三時間のちには消されるということもある。何によってそれは導き出され、消されるだろうか。自分の内と外とのあらゆる生活要素のあらゆる角度からの接触のあらゆる刻々の移り動きが、私たちの幸福感を誘い出し、また追放するのだと思う。そ
前へ 次へ
全16ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング