の園であるということになって、これが、聖書の基本になっているのであります。その楽園を失ったものとして人間の幸福というものが、話されているのです。けれど、この天上の楽園というものが特に幸福のシムボルとして考えられるについては、いろいろな問題があります。なぜかと申しますと、楽園というものの根本条件は、人間の平等ということです。すべての人々が他人の利益のためにただ働きをしないでも、人間として人間らしく生きて行くことの出来るだけの必要条件がそなわったところとして楽園が考えられているのです。ですから楽園の話が出来ましたときには、もう人間の社会は大分進化しており、そのころには、世の中に奴隷の労働があったということがわかります。他人から労働を強制され、自分の喜びもなにもなく、暮さなければならないという人々の大きな層があって、その上に、ごく僅かな人たちが働かないで、怠惰に安楽に暮していました。それで、苦しみながら働いている人々が、自ら自分たちの人間らしい権利を求める気持を、楽園というものの第一条件として、神の下に人間は平等であるという観念によってあらわしているのであります。
さらに、世の中が進みまして、中世の、騎士道の時代。騎士道と申しますのは、女の人に大変親切にする、強い者を挫き、弱い者をかばい助けるという精神によって貫かれたひとつの道徳でありますが、あなた方も、もし、そういうふうに、女の人に大変親切にやさしくやってくれたらと、憧れますでしょう。
この騎士道に一つの面白い話があります。それもやっぱり伝説の中にあります。
ある有名な、大変武勇の優れた騎士があった。そうしてあるときその騎士が森の中を歩いていると巨人があらわれて、騎士にむかって言うには「この世の中で、女が一番求めているものは何か」というのであります。
騎士は、たくさんの人と戦い、わたりあい、恐ろしい武器ともむかいあったが、この難題だけは大変困った。女が一番この世の中で欲しているものはなんだ、と考えながら、森の中を歩いて行った。大変美しい姿をした夫であろうか。大変金持の夫なのであろうか。人情の清く美しい人であろうか。どうもわからない。一生懸命考えながら森の中を歩いておりますと、木の蔭から、真赤な着物を着た女の人が出て来た。そして「もしもし、あなたは日頃、勇気があって華やかでいらっしゃるのに、一体今日はどうしてそんなに、しょげていらっしゃるのです」と尋ねた。そこで、巨人の難題のために困っていることを申しますと、その女の人は「女が何を求めているかということは、ちょっと男の人にはわからないでしょう。しかし、あなたは大変正直だから私が教えてあげましょう。女がこの世の中で一番求めているのは独立です」と言った。期限が来て、巨人にこの答えを申しますと、巨人は非常に驚いて「人間の男にそういうことがわかろう筈がない。これは一番の根本問題で、人間の男に、女が求めているのが独立であるということがわかるはずがない。きっと誰かに教わっただろう」と言いました。騎士は正直な人間でございますから、赤い着物を着た女の人のことを申しました。これはこの巨人の妹であったのです。
この話は、今日私たちが聞きましても面白いもので、これは十三世紀頃、いまから八百年も前に出来た話であります。
賢明な男の人は、女が一番求めているのは、独立であって、しかも女自身では、表現することが出来ない、自分がいま求めているものは何であるか、ということを、自分の問題として、はっきり世の中に訴える力、実行して解決して行く力をもっていない、その気風を非常によく理解していたということがわかります。
昔の男の人たちにも、洞察力の鋭い人があったということが、この物語でよくわかります。と同時に、今日、言論の自由とか、男女平等とか申しておりますが、日本のどこででも、やっぱりまだ巨人がいったように、女が本当に求めているのは、独立だ、ということを理解しない人が沢山あるように見受けます。
最近の芝居で「人形の家」をやっておりますが、あの主人公のノラは、いままで夫に玩具にされていたということが不満であり、どうかして、玩具の生活から逃れたいといって、家出をする。あのノラの問題に残されているものは家を出てから、どんな生活を、ノラは樹てていったかということです。
ところで、今日、あのノラの芝居を御覧になる方は、自分たちの問題として見ないで、ある時代にあった一つの例だという風に、女が解決して行きたい一つの与えられた問題だというように、歴史を振返えるものとして、御覧になったとおもうのです。
ですから、ノラの芝居が――せんだって私も見にまいったのですが――上演されました意味は、未来に向って、課題を与えるというより、われわれが、今日いろいろの現実の問題を解決して
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