る、働いて行く能力というものは、認められてはいないのです。ですから、こんど男子のように代議士に女がなったとしても、それだけでは「男女は平等なり」ではないのです。平等、平等といっても、言葉のうえの遊びではないのであります。
憲法のなかで、平等ということがいわれていますけれども、現実に、同じ仕事を、同じ量した労働者には、同じ賃金を支払わねば、ちっとも平等でないわけで、こうした、労働の第一の根本問題があれでは、はっきりされておりません。
また、あそこには、人は働く権利をもっている、と、はっきり、明文化してございますけれども、そうしますと、女と男とが、同じ権利をもって、同じ条件で働かねばならない。しかし、女の人は、母親になるという特性をもっていますから、その母性は保護されなければなりません。また、働いていた人が年をとって、働けなくなった時に、社会がそれを保護してやらなければなりません。
本当に、働く権利をもつということの内容には、こうしたいろいろな条件が備わって、はじめて、確立されるものであるにもかかわらず、あの憲法のなかには、一つも出ていないわけであります。ですから、文章の上でみますと、人は平等なり、で、たいそう進歩的にみえますけれども、まだまだ、あの憲法は、いたって不充分なものだということがわかります。ですから、もっと研究して、私たちの本当の代表者を議会に送り、もっとよく、もっと具体的な、実際の効力のある憲法につくりあげなければならないのであります。
私は作家であるのに、政治の話をするのは、なんとなく変だとお思いになるかもしれませんが、作家だからといっても、政治は政治家のことだといって、傍観出来ません。みなさん方も、それぞれ専門をもっておられることでしょうが、配給の魚と、野菜と、お米が少くなっても、私の専門ではないからといって眼をそむけていらっしゃる方は一人もないはずです。
私は作家でありますから、例えば紙の問題などは、実に痛切であります。私たちが本を作るということは、出来るだけ廉く、ためになる本を、美しいものにして、作りたいという念願をもって作るわけでありますが、今日、その紙はどういうふうになっているかというと、みんな配給になっております。けれども、ずいぶん紙を買溜めしておった人があるのです。最近巷にたくさん本が出ておりますが、一体そういう本屋は、どういう
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