は嘗て、人間の幸、不幸の差というものの多くは社会的条件の変化によって無くすることの出来るものであるが、最も後までのこる差別は恐らく健康人と病人との間に在る差別であろうという感想を小説の中で述べていた。それを読んだ時余程以前のことであったが、私はこれは真実にふれた言葉であると思い、様々の感想をひき起された。トルストイが、一遍も病気をした事がないなどというような奴に人間の不幸がわかるものかと、腹を立てたように云っている言葉をも思い出したのであった。けれどもその時私の心に生れた様々な感想に混って一つの疑問があった。それは、ロマン・ローランはこの社会に最後までのこって或る人間の幸、不幸をわかつ原因となるものとして健康人と病人との差をあげているが、この人間生活の不幸の一見最後的な差別の根源にしろ、矢張り終窮は人生の多数者の生活条件いかんにかかっていてよっぽどの程度まで絶滅され得るものである。ロマン・ローランが我々の人間の精神上の幸、不幸の原因についてこの点にまで切りこんで行ったことはさすがに敬服に価する態度であるが、我々に負わされている肉体の健康、不健康の問題をもう一歩進んで動的なものと理解せず
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