母親であるひとの言葉によれば、富美子は生理的に不幸な欠陥をもった婦人であり、自殺の動機もそのことと、相場に大失敗したこととに在るように公表された。もし一人の女が、金にこそ不自由ないが、そのような生理的欠陥を体にもって二十八歳まで生きて来たのが事実とすれば、少くとも過去十数年、富美子というひとはどのように苦しい心持を経験したことであったろうか。物心ついて、自身の肉体の普通でない欠陥に気づいた時、何とかして母親に相談するなり、相場をやる位の向う意気があるならば自身医者に相談するかしなかったのかと、私は同情とともに歯痒さを感じるのである。娘がそういう内奥の問題について、しんみの母親を頼るような心持になれないような家庭内の雰囲気であったのでもあろう。女学校の今日の教育は、女が平凡な肉体と平凡な日常生活の軌道をもって過してゆくためには最少限の役に立っているであろうが、一旦現実が紛糾して、例えば一人の女の体に新聞記事に仄めかされているような生理的欠陥が現れたような場合、その不幸に対して先ず医学的処置を試みるという全く初歩的な実際的な判断さえ娘の心に養い得ていないのである。
 ロマン・ローラン
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