るが、それは忽ち、そうなら「とても昼のうちからあんなにまっしろ白粉塗っちゃいまいもの」という推論に入っている。そして「ここは東京の女のむだ花ばかりが咲くところ!」という結びで文章は終っているのである。
私はその文章を読み、※[#「火+華」、第3水準1−87−62]子女史の写真を眺めて、日日の記者は何たる皮肉家であろうと思った。昼間の私娼窟の人気ない軒合いを、立派な毛皮の長襟巻を膝の下まで重げに垂れ、さながら渡御の姿で両手を前に品よく重ねた※[#「火+華」、第3水準1−87−62]子女史が、自分の正面に向けられたカメラだけを意識してしずしず草履を運んでやって来る。そこがカチリと印画になって納められているのである。女史はそのまま諷刺画ともなるこの自身の写真を如何なる感想で見られたであろうか。更に、ともかく無産政党に属して一旗あげんとした良人宮崎龍介氏は、それを如何に見たであろうか。
「女には全く用のない玉の井」というのは女が私娼を買わないからの意味であろうが、深刻な東北地方の娘地獄の問題も、東京の夥しい失業女工の飢のことも、女には珍しい玉の井参観一巡中、※[#「火+華」、第3水準1−87−62]子女史の念頭を掠めさえもしなかったように見受けられる。
私娼の問題は、一朝一夕のセンチメンタリズムでは解決し得ない程複雑な社会的経済的根拠をもっている。※[#「火+華」、第3水準1−87−62]子女史がもし一人の心敏き母であるならば、不自然な現代社会機構の中に成長する我が息子が、若者になった或る日、何かのはずみにこの不幸不潔な場処へやって来るような場合が起ったら、と或る悲しみと恐怖をもって、花柳病医の看板を見ることはなかったのであろうか。吉原の公娼制度が廃止されることは、健全な結婚の可能性が我々の生きる今日の社会条件の中に増大されたのではなくて、多額納税議員をもその中から出している女郎屋の楼主たちが、昨今の情勢で営業税その他を課せられてまでの経営は不利と認めたからである。
文芸春秋に、「男性への爆弾」という記事があり、山川菊栄、森田たま、河崎なつの諸名流女史が夫々執筆していられる。河崎なつ氏をのぞいて、他の二人、特に山川菊栄女史の文章は面白い。女史は「先ず手近から」男を観察し、女中の留守には自分の洗ったお茶碗を傍で拭き、得意の庖丁磨きをすることを恒例とする良人、労農派の総
前へ
次へ
全9ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング