、ソヴェトの浮浪児、サーニのようなのは、国内戦によって引おこされた一時の社会的な混乱が生んだ、家を失い[#「家を失い」に傍点]保護者を失ったために、社会生活の秩序を知らない[#「知らない」に傍点]子供である。社会の秩序を知り得る場所で性格の破綻からそれをあえて破ろうとするアナーキー的本質のものではない。サーニは、ああなるのは当然だ、何故なら、土台社会人としての可能を持って生れているのだから。黒須千太郎や平尾を筆頭とするその教師らのように、社会の排泄物的存在ではないのだから。二つを、並べて問題にするのは幼稚である、と。
私は、二つのタイプがそれぞれに異ったものであるということに反対しようとはしない。同じ浮浪児・指導者にさえ歴史的な二つの段階が示されているからこそ、ここで私どもの関心の的となり得るのである。この二つの世界の一方から、サーニの経験した社会的な内容へうつる歴史の橋が、今の生活の刻々のうちに異常な困難と堅忍を通じながら架せられつつある。私どもはその架橋工事に参加する世代としての権利をもっているのである。浮浪児の社会人的教化は決して、感化院の中からの努力だけでは成就されない。それらを包蔵する社会の全面的、根本的前進があってはじめて可能であり、やがて同じ浮浪児でもその発生の社会的原因が崩壊と貧困化と廃頽のみであったものからより強く社会の発展的要素の反面を反映するものとなってゆくところに、非常な面白さがあるのである。文学というものを活かすのが題材ばかりでなく、テーマであるという、その根本をなす人生のテーマがここにこそかくされているのである。[#地付き]〔一九三六年九月〕
底本:「宮本百合子全集 第十巻」新日本出版社
1980(昭和55)年12月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
1951(昭和26)年7月発行
初出:「早稲田大学新聞」
1936(昭和11)年9月30日号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年1月16日作成
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