まま、文学は神聖な超俗的な仕事であるという先入観に絡みとられている無力さに現われているとも考えられる。軍事的専制と営利出版との共同圧力で、真の文化は潰された。
その営利出版は、今なお残って、今度は、モラトリアムその他破局的動揺と結合して、新しい文学者の出発を阻んでいる。
いつの時代にでも、文学を愛し、それを生もうとする者は、金銭ずくではない。それだからこそ、社会労働のうちでも、最も複雑な、最も高い見地から人類の富の生産者と考えられなければならないものだろうと思う。最も自身の任務と価値との責任に目ざめた精神労働に従うものであることを、作家自身は知ってよいのではなかろうか。
税務署では、弁護士や医師と文筆家を並べて一つカテゴリーに入れている。自分のもとでで儲ける者としこの区分に入れている。作家はおとなしくその類別に従って来た。けれども、少し考えると妙だと思える。
作家は、大部分が出版企業に結びつけられて、真の儲けは、出版屋が吸いとっている。これは明々白々である。皮肉にいえば、粗末なタネであることを自ら知っている作家だけが、主観的に、タネの粗末さにしては儲けがある、と思うだけである。
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