った。勇ましくあらねばならず、恐怖を知らないものであろうとした。そのために、こわい、いやだ、それはまちがっている、という声々を治安維持法に向って発せず、かえって、緊張した顔をわきに向け集めて、社会主義リアリズム論争、文学指導の政治的偏向という主題に熱中した。文学理論は、そのものとしてとりあげられず、すでに下ゆく水の流れの上におかれて論ぜられるのであったから、論議は理論的に進まず、論点の転換点《ターニング・ポイント》はいつも心理的な動因に立っていた。しかも、誰一人(文学者であったのに!)その機微につき入る親切も、辛辣ささえももたなかった。そのようにおさなかった。稚く、こわばって、まじめであった。
 この事実は、日本における社会主義的リアリズムの理解を今日にいたるまでまったく歪めた。この理論から文学における階級性の消滅だけが強調された。プロレタリア文学が自分の歴史性を喪って、治安維持法と検閲の枠内だけに棲息する文学になり下るモメントとなった。三二年に国際的決定を見た日本の半封建社会は、その社会に即する半封建の思惟力と文学のよわい脚との上に、プロレタリア文学運動もろとも社会主義的リアリズムという、未来にわたって展望の長い、興味ふかい国際的な文学課題までも、崩れへたばらせてしまうことになったのであった。
 ファシズムにたいしてたたかう民主精神、ヒューマニズムの主張としてフランスを中心におこった人民戦線の運動が、この度の大戦中、どんなに社会的・文学的に高貴な地下活動を行ったかは、今日私たちが少しずつ学びはじめている。同じその時期、日本での人民戦線の提起が、どんなにその枢軸たる社会性・政治性を抜き去ったものとして行われたか。階級性ぬきのものとしようとしてついに能動精神というモットーにおち、もう一段の悪情勢で、日本の文学がほとんどまったく侵略戦争のローラーにひしがれたということを、悲傷をもって経験している。プロレタリア文学の運動がはじまったころ、文学の純粋性を固守し「花園を荒すものは誰ぞ」と書いた中村武羅夫や、文学の芸術性は独自のものだと社会性ときりはなして主張した菊池寛が、戦争の間は先に立って、その花園に戦車を案内し、その芸術性を、戦争宣伝性におきかえた。これらのことは、深い教訓を示している。
 こういうあらましのいきさつを経て、今日のわたしたちは、民主の日本を建設するという課題に当面しているのである。日本の社会がその半封建性とたたかう必然は、もう今日では万人の目にはっきり見えてきている。文学の領域でもそれは当然明瞭なわけなのだが、十数年前にプロレタリア文学としての運動があったから、今日民主主義の文学というと、後退したような感じを与える。文学の前線が時によって出たり引っこんだりしているようにも思われる。しかし、それはけっしてそうではない。日本のわたしたちは、今こそ、よかれあしかれ日本の社会機構の現実の基盤とぴったり結合した文化・文学の理論をもって、発展的に動きだせる時に来ている。社会科学、政治的活動、労働運動の全線が、今日は日本のいつの時代にあったよりも正常な関係をもって市民生活の中に立ちあらわれてきている。したがって、文学も文学の自主的な足場とともに、民主国としての日本の後進性をいまや十分自覚する能力を与えられ、その自覚に立って、はじめてとっくりと十数年来のことのなりゆきをふりかえり眺めわたせる時期になった。
 新しい理解での民主主義文学運動のうちに包括されて、その最も推進的部分をなすのが、プロレタリア文学である。半封建的なものとのたたかいが、日本においてどんなに重大であり複雑であるかということは、こんどの憲法一つを見てもわかる。民法が改正されただけで生活感情の伝統の相剋はなくなると思うものはない。日本の財閥が外見上解体されたとして、どうして徒弟制が絶滅したといえよう。バイブルに、男女は差別ある賃銀を、と書いてはなかろうが、カソリック教徒である日本の文相は、それらを教員たちとの係争点にしている。あらゆる市民が半封建的なものからの離脱を努力しているとき、文学もブルジョア民主主義的立場からの面をもたないわけにはゆかない。人間性の確保、個性の確立は、ここに根をおいて文学の上に主張されうる。けれども、後進の日本は、民法のブルジョア民法としての改訂さえやっと一九四六年に行う状態である。福沢諭吉が提案した明治年代の日本における資本主義興隆期にはそれを行わず、半封建憲法・民法で押してきた。その結果、わたしたちの日常生活のあらゆる面と感情とが、古きものへのたたかいと同じ刹那に、帝国主義末期の現象であるさまざまの矛盾と衝突し、そこからの出口として、より進んだ民主主義――社会主義的民主主義を見わたさずにはいられなくなってきている。日本の民主主義が、ブルジョ
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