ている。だからその事実に立脚して外部的判断と闘うという風に考えるのは普通人の頭である。木々高太郎氏は、その「理性の方を信頼する[#「理性の方を信頼する」に傍点]」と云う内容を逆に見ている。殆ど正気と思われない程受動的な、被暗示的な精神状態において表現し、卑俗に云えば、「余りお前が盗んだと云われるもんでそんな気になっちゃった」という工合に扱っている。しかも、それがインテリゲンツィアは現実より理性にたよるからであるというような観方を結論で云われるのは現実的でない。常識の中で理性という言葉はそういう逆説でつかわれてはいないのである。
更に合理性を左翼の思想と連関させて、合理性では現実の真相を理解し得ないという風に強調されているのを見ると、ピンと来るものがあって、自然著作年表を見た。するとこの作は昭和十二年一月の作である。本年の作である。本年の一月頃から日本文学の動きは『文学界』を中心に、文学における科学的客観的評価の否定、合理的な世界観の拒否の声が一層高まり、昨今はこのグループによって変種の実証主義、信仰的体験への要求が提出されている。文化における極端な民族尊重の傾向と結びついているもので
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