世相的反応で製作したたとえば江見水蔭のような作家たちが、その描く対象をどう見てどう感じていたかということをも見逃し得ない。現象に対する作家たちの解釈は、それら一定の解釈の生れた根のところにその人たちの時代への意識のありようがみられなければならないからである。

 現代の作家は、そういう意味で、どんな風に時代を意識しているだろう。日本は今世界史的な規模で変りつつあるのだから世相的刺戟はもとより敏感に感じざるを得ない状態におかれていて、しかも時代の永い見とおしに立って文学態度の歴史的な把握は非常な困難におかれているのが、今日の実際ではなかろうか。
 作家が現実の激浪に圧倒されて、或る混乱に陥ったと云われているのは既にこの数年来のことである。その原因は決して簡単でないが、主な一つは、文学の前時代の骨格であった個人的な自我が、内外の事情から崩壊したのに、正常な展開の可能が自他の条件にかけていて、文学によりひろい歴史性をもたらす次の成長へ順調にのびられず、自身の存在の確信のよりどころを失っているような状態であることをさして、作家と文学の敗北、沈滞が云われていると思う。そして、同じ原因から、近頃あ
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