買って読まされていたものから、自分たちの生活から生み得るものという理解に立ち到らせたこと、及び過去の所謂教養というものを身につけていないことが直接の恥辱ではなくて、自分たちの人生における現実の関係が自分たちに与えている判断を土台として新しい文化と教養とに成長し得るという見とおしを与えたことである。
日本の文学の歴史のなかで、この重要な時期は時間的に極めて短かかった。そこには又、自然主義が日本とフランスではちがった花を咲かせたと同じような日本の独特な社会の事情があったわけであるが、とにかく、数年を経て再び作家と教養の課題が立ちあらわれた時には、この教養の実質が過去への屈伏を意味したとともに、その必要を云々する作家の人生的迫力も、到って甲斐甲斐しさを喪失したものであったことは、注目されるべきところであろうと思う。
僅か数年ではあったとしても、過去の云うところの教養を身につけていない新鮮さを寧ろ文学の世代としてのよりどころとして発足しようとしていた若い作家たちにとって、退陣の形としてあらわれた過去の教養の尊重の流行は、多くの混迷をわきおこした。そして、現実の文壇処世としては、一般の教養的
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