た。今日、その事情がどうかわって来ているかはしらないけれども、この小さい一つの例は、忘れられない強さで、女がその活動の場面においてさえ、負わされている一つの男とちがう負担のあることを告げている。非常時だからと和服になった男たちは、少くとも筋のとおった社会的な活動をしている男の間にはないのである。
現実は、その複雑さで、私たち女をも激しく揉む。揉まれながら、一家の生活を負担し、今やますます広汎に生産の一部をも負担している女は、生活経験によって実力を靭《つよ》められ、逞しくされながら、その間に自分たちの内と外とにのこされている社会的なマイナス、おくれている要素を高めつつ進まなければならないのである。私たち一人一人の置かれている境遇と、そこにある人間的な努力を通じて、婦人全体としての進みが考えられなければならない。兵士への慰問というときにも、女というものが、酒、煙草、絹の概念で、添えられるもう一品(林房雄、「戦のひま」)に止っているということに、私たちの心持は満足しない。私たち女の心にある慰問は、もっと歴史の相貌に根ざしたところから惻々と発しているのである。また、女自身が、兵士への慰問というと、たちまちある型で女らしさと考えられている感情の習慣的な面だけで、少女小説的に受動的にだけポーズするのも、まことにたよりない。そういう女の甘さや感傷が、自身は暖い炉辺で慰問靴下をあみつつ、美食家のエネルギーで戦線の英雄的行動をしゃべり、スリルを味っている女たちに対する憎悪とともに、どのくらい深刻に思慮ある男、現実の艱苦《かんく》の中にある男の感情を索漠とさせるものであるか。ヨーロッパ大戦ののち書かれた多くの代表的文学作品は、塹壕から帰休する毎に深められて行く男のこの憎悪の感情と寂寞の感情にふれていないものはない。
日本の兵士たちは、地理の関係から、一たん故国をはなれてしまうと、骨になってかえるか、凱旋する日まで生きるか、どちらかである。ここにはまたこことして、思いやるべき幾多のことがあるのである。[#地付き]〔一九三七年十二月〕
底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
1979(昭和54)年7月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
1952(昭和27)年8月発行
初出:「新女苑」
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