盛大さというものを考えてみると、どうもこれは苦労人の考え出したものらしく思われますがいかがでしょう。例えば中国の習俗では正月を迎えることは年中行事中、最も賑やからしい様子ですが、それなら中国の村人、市民がこれまでの歴史のなかで常に安穏な月日を経て来ているかと云えば、事実は反対のものとして語られていると思います。日本の私たちは、あながちその習俗を形からとりいれたというばかりでない祖先たちの計り知られざる来る一年への祝福の感情を、どこやらにつたえられてもいるのではないでしょうか。そして、本年の正月などは、殊更その感が深いようです。
 今年はひろい規模で様々の祝典が催されたり、日本の歴史の上での記念すべき年として予定されているわけですが、日常生活が市民一般にあらわしている相貌に於ても、現実的にごく画期的なものをもっているのは興味ふかいところであると思います。私たち普通のくらしのなかにあるものは、珍しい種々の条件のなかで、お正月だけは火※[#「※」は「金へん+床」、読みは「とこ」、564−18]を二つにしましょうね。などというつつましきたのしみをもって、来る一年を迎えようとしているわけです。

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