ryman”の主人公の心持は、可成《かなり》作者自身の生活に対する頷きを現わしているものではないだろうか。
 彼はちっとも人間を拵えない。英雄的な性格でもなければ、さりとて傑人的な性格でもない、極くありふれた英国の相当に教養を授けられた人々の間に起る事を、平静な、息をはずませない筆で描いて行くのである。
 皆が相当によい心を持っている。が、誰も非常な熱意に燃えて革命を起す人々ではない。我々の胸の中に納まっている種々な希望や意向などの囁きに耳を傾けながら、或る程度まで其等の実行出来難い今日をありのまま受取って穏かな日常生活を続ける一群が、彼の友達らしく見えるのである。

 彼のものを読むと、なにしろすっきりしていると思わずにはいられない。手入れの行届いたモーニングを着て、細身のケーンを持ちながら、日影のちらつく歩道の樹蔭を静かに行くのが彼の作品の後姿である。
 去年の夏頃米国に来遊して間もなく“Saint's Progress”と云う四百頁余の長篇が出版されて六月から八月までに四版を重ねた。
 その他に今解っている作品集は
 “The Man of Property.”
 “The Co
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