っちできこえこちらで囁かれる声が、却ってまるで戦争のさけがたさとそれがもう予定されて動かせない事実であるかのような錯覚に導いていた傾きさえあったといえる。一人一人が自分の感情では、戦争がよいことだと思ったりしているものかとわかっていながら、あいまいな、肯定とも否定ともつかないひそひそ語りが、本人の気分では否定している戦争を逆に宣伝する役割を負わされ肯定するような心外な効果に陥ってしまう。
わたしたちが、真面目に自分たちの人生について考え、その人生がおかれている社会について考えたら、言葉をはっきり使うという一見些細なことが、どれほど重大な意味をもっているか、わからずにいられない。女性がひとことはっきり、いやです、といったとき、今日の社会でどれほどの悪と不幸が力を弱められるだろう。卑近な実例で、大蔵次官が収賄して下獄した。ああなるまでにもし彼の細君がはっきりくりかえして、わたしたちの家庭に、いかがわしい洋服はいりません。みそ醤油なんぞまでもらうのはあんまりだから、いやです。といったら、どうだったろうか。
大蔵委員会で、数百万の人々の生命に関する新給与問題を扱いながら酒に酔いくらって婦人代議士に無礼をするような閣僚をもつ政府はいやです、と全日本の婦人が発言したとして、それのどこが不自然だろうか。議員も閣僚たちもみんなわたしたちの税で、歳費を支払われている人々である。民主日本の四年目に、わたしたちはせめてはっきりと、いやなものはいやという言葉の使いかたとそれに準じた行動のとりかたを身につけたいと思う。[#地付き]〔一九四九年一月〕
底本:「宮本百合子全集 第十五巻」新日本出版社
1980(昭和55)年5月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
初出:「婦人民主新聞」
1949(昭和24)年1月1日号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年6月4日作成
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