なインテリゲンツィアの手にとられた知慧の輪のように、それぞれの動機からああこうと受けわたしされたのであった。
ジイドは前年夏ゴーリキイの病篤しと知って、モスク※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]へ飛行し、そこに約二三ヵ月止り、かえって旅行記を書いた。本質に於ては飽くまで旧い箇人主義から脱していないジイドが、「新しい社会の集団人《マス・マン》の代表者、具現者」としての部署におかれている人物の価値を理解することは全然出来なかったし、その社会全体が発展の過程に於て経なければならない内外の摩擦の諸相とその意味を正しく把握することも不可能であった。ジイドはその本の序文に「私自身よりも、ソヴェートよりもずっと重大なものがある。それはヒューマニティであり、その運命であり、その文化である」と云い又「あらゆる反ソヴェートの新聞紙が、いま自分の本を利用するのが残念である」と云いつつ、ロマン・ロランその他の前もっての忠言にかかわらず、その小冊子を三ヵ月に百五十版重ねさせた。「政治的に利用してあるパンフレットの如きは一部一法二五。十部十二法。百部百法。五百部四五〇法。千部七五〇法というような割引率で、数万
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