ストフを云々し、不安を云々する人々、及び、文学の社会性を重大に視る立場にある人々の多数までが、この「ひかげの花」については、作者荷風の抱いている今日の人生への態度にまで触れて批評するのを野暮として、荷風の芸のうまさ[#「芸のうまさ」に傍点]、たたきこんだ芸が物をいうところを、無条件に買うべしという点に一致したことは、確に特徴的であった。
知性の時代的な不安を云々する人々が、人間精神から鋭い不安をぬき去った荷風の芸術によって一層自分たちの不安を激しくされ、深められず、却ってうまさ[#「うまさ」に傍点]にすがって、職人的な作家の腕、文章道への関心の方向へと若い一部を流しやったことは注目に価する。荷風の人情本より歴史の上ではもっと古い句読点のない文章をもって「春琴抄」を書いた谷崎潤一郎は、大谷崎の名をもって呼ばれ、彼の文章読本が広くうり出された。しかし、その谷崎自身が、芸術家としての老いの自覚として、自分も年をとった故か昔のように客観描写の小説などを書くのが近頃面倒くさくなったと云っていることを、日本文学と作家生活とへの意味深い警告として心に聴き止めた人々は果して幾何あったであろうか。
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