的な共同精神を失って専門化・瑣末化しすぎた現代学究への健康性の要求として、フランス支部から提出された新国際百科辞典の編輯を決定し、三ヵ年無裁判で投獄されていたドイツのオシツキイをノオベル平和賞の候補者として決定した。七月にはスペインにフランコ将軍の叛乱が起り、アンドレ・マルロオは政府軍の義勇軍に投じた。第十四回国際ペンクラブの大会は、会合地の関係もあって、英米ともに文学の現役を送らず、文学的には貧弱であったが、それにしても猶、日本から遙々出席した「夜明け前」の作者藤村は、深き様々の印象を与えられたらしい。一九四〇年の第十八回大会日本招致は、日本代表の努力によってオリムピック大会東京開催と年を同じくして決定された。
この決定に因《ちな》んで、日本ペン倶楽部は日本独自の立場を持つものであるが、同時に、「文学と文学者達との間に決議された事項は文学を主軸として解釈さるべきであって、それに不必要にして余計な拡張解釈を加えることは誤りに陥り易い」こと、民間性が重んじられるべきこと、文化の相互的理解を深める機会として大国の襟度の示さるべきこと、又、年を同じくして日本文化連盟主催の万国文化大会も開催される由であるが、これとペンクラブの大会とは「依立する主軸と意図に相違ある」こと等が、諸方面から明かにされたのは、極めて妥当なことであったと云える。(一九三七『文芸年鑑』)
今日の文学の諸経験
――明日の文学への流れ――
さて、遂に我々の前には、将に暮れようとしている一九三七年の頁が現れた。この一年間に生きられた文学の諸経験は、その質においてまことに深刻である。
前年の終りに近づいてから民衆本来の心の姿は、或る種の作家の主張する如く現実の生活に対する批判の精神などを必要としていないものであるという論の出現したことについては前に触れた。本年に入ってこの論は、純文学と民衆生活との懸隔という方向へ展開された。純文学の作品を、きょうの民衆の何人が読んでいるか。彼等は依然として浪花節を好んで講談本を読んでいるではないかという風に問題がおこされたのであった。
そして、これ等の論者の言に従えば、これまでの純文学は民衆の真にあるがままの生活に何等ふれるところがない。要するに文学青年どものもてあそびもので、作家は遂に文学青年目あてに技法の末技末節に拘泥した堕
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