る。
 一九三六年という年は、かようにして「もののあはれ」、「ますらをぶり」等が晦渋に呈出されつつある一方で、万歳と漫談、とりとめなくエロティックな流行歌とが異常な流行を見た時であった。文学における「嗚呼いやなことだ」と一味通じて更にそれを、封建時代の日本ユーモア文学の特徴である我から我頭を叩いて人々の笑いものとするチャリの感情に絡んだ気分のあらわれであった。鬱屈や自嘲がこういう庶民的な笑いかたの中に、日本らしい表現をもったのであった。
 このことは、しかし、日本におけるヒューマニズムのたださえかがみかかって現れて来ている腰を、一層弱くし、泣き笑いの人生へ人間らしさ[#「人間らしさ」に傍点]を追い込む危険を導き出したと共に、更に『文学界』などの論として、民衆は現実に対して批判精神などはちっとも必要としていない。彼等はあのように朗かに笑っているではないかと、文学における批判精神の抹殺、ある意味では文学そのものの存在意識を否定した見解をひき出した。この論の真の眼目は、生活の現実に立って今日のヒューマニズムが無方向、一般人間論としてはあり得ないこと、リアリズムにしろロマンチシズムにしろ、人間的立場に立つ以上現実批判なしにあり得ないことを警告しつづけて来ている一部の進歩的作家に対する駁論、否定にある。そして、先頃までは、すべての文学論議が常に知識人中心に扱われて来ていたにかかわらず、この、民衆は批判精神などという小五月蠅《こうるさ》いものを用としていないと云われ始めた頃から、文化と文学の対象に、民衆という語が現れて来た。これは将に刮目《かつもく》されるべき一つの点である。
 批判精神を持たず又必要ともしないのが本来あるがままの多数者であるという規定は、その非現実な設定にかかわらず、インテリゲンツィアと民衆との相互関係の見かたに又一つより低き方への動きを与えた。ヒューマニズムの問題のはじまりに、宙に浮いた知識階級なるものを仮定してそこでばかり物を云っていた弱点は、この時期に到って、インテリゲンツィアと民衆との游離という風に誇張せられ、インテリゲンツィアはさながら自ら知識人であることを負担として知慧の悲しみを愧《は》じるが如き身ぶりが現れた。
 森山啓氏の「収獲以前」という作品は、小市民としてのインテリゲンツィアとその庶民風な親族との家庭生活のいきさつを描いたものであったが、民
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