は日本の社会が近代社会として国際的に一位を占めるために努力して来た量と等しい精神の量において、近代社会の市民としての人間性の自主、我の自覚への努力がされて来ている。経済・政治の専門家が条約改正のために尽瘁し、ちょん髷を剪《き》らせ、廃藩を行った、そのことが文化の面では、長いものには巻かれろ式な戯作文学の伝統と近代精神との入りくんだ摩擦に導いたのである。
社会的現実の各面に、今日この摩擦がより発展した形に於て高まるとも低まっていないからこそヒューマニズムの声が起ったのである。この時期に、文化・文学の辿って来た歴史の伝統の刻み目の内容を着実に含味しようとせず、空に飛行機を舞わせつつ、文学精神の面においてだけは青丹よし寧楽《なら》の都数千年の過去にたちかえらんとしても、幻を喰って生きていられるだけの余裕に立ってそれを主唱している少数の人々以外には、深き困惑に陥るのである。
この常識から見れば奇妙な偏りをもった古典文学謳歌の傾向が、ともかく自身のために語り得る場処をもち得ているという可能の条件に就て、自明な情勢はもとよりのこととして、更に文化の面から考察が進められなければなるまいと思う。アカデミックな国文学者の著になる和泉式部の研究を土台として、一躍情熱の女詩人与謝野晶子への讚美となることの腑に落ちなさは一般文化人の胸にありつつ、何故輿論としてそれが発言されないのであろうか。文学に即して見れば、従来の国文学研究が実社会から離れたありようをしていたからであることが、指されると思う。
この年は佐佐木信綱博士の万葉集校訂の大事業が完成して注目をひいたが、従来、国文学者は不思議にも日本の国文学として今日の文学作品までがその研究の分野にとり入れられなければならないという、極めて当然な動きから、かたく身を退いて来た。彼等の専門的対象は徳川期で止った。特に、世界とその一環としての日本の文学が、質的に大きい変転を行い、波瀾を経つつある最近の「十年間あまり、国文学研究の中道が、殆どすべて本文校訂とか稿本作成とか、考証とか、索引作成とかいう資料整理的の仕事それ自体を目的とする範囲を出なかったことは著しい事実」であった。このことは、現代生活と文学とから研究の分野を切りはなしてしまったのみならず、専門家間に実証主義という名で呼ばれているそうであるところの一部の研究家を、その準備的研究の上に固
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