ように見えた。文芸復興は当時にあっては素朴な形で言われた。小説家は小説を書きさえすればよいのである。作家は作品が第一である。何を恐るるところがあろう。さあ諸君、今こそ諸君の才能を思うままに伸したがよい。そういう意味の強いて名づければ芸術の一般性を土台とした鼓舞が、プロレタリア文学運動が作家に課題として来た諸実践、創作方法を発展せしめるための努力、芸術評価の規準の客観的な確立等に対立するものとして、強調されたのであった。
文芸復興の呼声は自身の創作方法としてリアリズムの提唱をしたのであった。しかしながら、その時期これらの人によって言われたリアリズムというものは、前後して日本にも紹介され始めた社会主義的リアリズムの理解とは性質を異にしていた。この人々の云うリアリズムとは、大体次のようなものであった。若しその作家が忠実に現実を描写するならば、現実そのものが含んでいる矛盾は必ず芸術作品に反映するものである。故に、作家は作家であれば足りるのであって特別な現実を観る眼、世界観等というものは不用である、作品は作品である限り進歩的な役割を自ら果すものであるという風な論がリアリズムについてなされた。こ
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