るものを多く持っていないという事実は誰しもこれを認めなければならない。文壇の外に出るということが言われているのであるが、抽象的な文壇はその人々の経済生活を支えるための出版活動をしていたというのではないから、執筆は従来も営利的な出版物の上にされていた訳である。作品の市場としての今日の新聞雑誌、単行本出版のことは、その中へ文壇を出た作家というものを吸収するどのような能力を持っているのであろう。文壇を出るという言葉は成行として、出てから何処へか行くという感じを私たちに抱かせるのであるが、政府は作家の役人をどの位必要としているのであろうか。五・一五以来、世間の耳目は少壮云々の形容詞で何となく男の血気を刺戟して来ている。今日「大人の文学」を唱え、文壇を出たいという心持を何処にか持っている作家達は、年配から言っても所謂少壮の幹部どころの年齢であり、文学者の従来の生活には少なかった政治家、軍人等との接触の物珍らしさは、一部の作家が過去に於ては国際的な政治経済知識を著しく欠いていたという一面の無識から受ける驚きと相俟って、意外に安易な卑近な傾倒の感情を引き起していることも見られるのである。
これらの
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