作家は同時に文学の進展を害するものとして文学青年の存在を否定しているのであるが、文学の現状を見れば、そこには大きい実際の矛盾がある。この三四年来、芥川賞、直木賞、文芸懇話会賞等々|夥《おびただ》しい賞が懸けられ新人を招いている。ところで今日までこれらの賞を受けた人々は果して本質的な新人であったろうか。賞を与える側がその新人でないことに就いて消極的な言葉を添える有様であった。或る賞のために努力した若い作家は、多くの場合その賞の審査員である諸作家の影響というものに対して、全く自立的な感情を持ち得ないであろうし、又私などはそのことで自身の芸術の素直な発展を阻害されている何人かの人を知っている。
 今日の国家経済の方針に依って、文化の大衆化に重大な関係を持っている紙と印刷費用とは高騰する一方であるから、一時のように同人雑誌の刊行も困難になり、他面発表機関も困難になることから、雑誌を持っていてその誌上を割き与えることの出来る作家の周囲には今後も益々文学志望者がその習作と共に蝟集《いしゅう》するであろうと思う。それらの文学愛好者達は、発表の機会を考えてそこに集り、だが必ずしもその統率者に対して人間及作家としての尊敬を全幅的に捧げているとは限らない。或る場合には自分の本性と反撥するものをも感じつつ尚悲しき利害から毅然たる態度も示しかねる自分に自嘲を感じることもあろう。そのような生きる感情の状態から、新たな文学が生れ得ると考えれば、あまり作家と作品との生活面に於ける統一の重大性を無視したことである。夏目漱石は周囲に多くの後輩の出入があった。勿論作品の発表のために尽力している。けれどもその時代のことと今日の右の事情とは、二十年の歳月が日本と私たちとを変えているように、質を変えているのである。
 これらの曲折の間に、プロレタリア文学はどのような存在を続けて来ているであろうか。文学運動としての形を失いつつ、作品は書き続けられ、読者を持ち続けて今日に及んでいる。ブルジョア文学の一部が社会的動揺によって文学の独自性をも危くしかけている時期に、プロレタリア文学は人間の心に潜んでいる合則的なもの、合理的なものを愛する心、或は現代の生活に種々の疑いを抱くものの心に触れるその本質に依って存在を価値づけられて来ている。青野氏は最近の論文で、プロレタリア文学の存在の根強さの上に安んじ、刻下の社会事情の中
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