とともに一部に成金が生じる現象は、文化の分野にも見られるようになった。永年の窮迫と不遇から時局によって世間的に一躍し、温泉へ行って忙しい忙しいと小説を書きとばしているというような農民生活の在りようを、農村生活の現実とてらし合せて考えたとき、その作品が、かち得る賞というものについて、人の心は単純にあり得ないのも自然ではあるまいか。
 外見上の文学の繁昌が、その本質に対する疑問を喚びさましている一方、この一般的な活況の中には、やはり本ものの文学が生育されて行く或る可能というものも見えがくれしているのが実際である。文学とは何であろうかという、文学への新しい考え直しの慾求と一緒に、着実にその疑問の一筋を辿って、自分の道を進もうとしている作家の存在も、決して見のがすことは出来ず、そういう作家と、そのような作家を志して文学修業を怠らない人々とが、窮局において、世態の大波小波を根づよく凌いで、未曾有の質的低下を示していると云われている今日の文学の屑の中から、新たな骨格を具えて立ち出でて来ると、期待されるのである。
 現実は豊饒、強靭であって、作家がそれに皮肉さをもって対しても、一応の揶揄をもって対し
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