持っていないから、事実においてそういう雑誌でも売れて行く必然性がある。売れるからますます多く作り、安いからますます読んで、自分たちの汗水たらしてとった金を払って自分たちをますます狭い低い隷属的な生活へ追い込む文化の影響を受けて行くという状態にあるのである。
読者は今度国定教科書の插絵が大変かわったことに気づいていられるだろうか? 先の教科書では、洋服を着、靴をはいて画かれていた小学生の姿が、改正されたものでは、和服で藁草履をはいている。これは何故であろうか? ある人はこれを説明して、「もとの絵は都会の生活を主にして画かれていた。あれを見て、農民はいたずらに虚栄心をあおられる。実際に農村で子供たちがしているような服装をした子供の絵の方が、質実な思想を養うに有効である。」といった。
この説明は、実際の一面のみにふれている。插絵の変更の他の一面にはゴム靴の買えなくなった農村の子供とその親とにこの貧困の状態を普通のものと思わせようとする効果が考慮されてあることは何人の眼にもあきらかである。
農村の文化の特性というものが、強調され、農村の文化を創るものは農民である、という農本主義的の考え方は、現代においては農民自身の幸福のために、欠くべからざる協力者である都会の労働者と、進歩的な知識階級人とを文化的にはもっともおくれた農民から切り離すための役割しか演じていない。もし、農村の真の幸福が今日のままの有様で農民が暮すことの中にあるのならば、なぜ、近頃やかましく農村の工業化の問題が叫ばれるのであろうか? 矛盾はここにも現れている。
農村の工業化の問題でも、それを計画する人々の間では、農村の若い娘の労働力というものが、重要な計算に入れられている。昨今の婦人雑誌の内容を見ても分る通り、婦人の天職を家庭の中にあって良妻賢母であること、やりくりのうまい主婦であることに認める傾向は、近頃一層いちじるしくなって来ている。婦人の幸福は家庭にあり、家庭において婦人が婦徳を全うすることこそ日本文化の世界に誇るべき輝きであると論じ、婦人参政権運動の市川房枝女史も座談会の席上でもとの婦選運動は男性に対して行われたような点がなくはなかったが、この頃は婦人の特徴をよく理解した上で、問題を考えている点が進歩したといえましょうといっている。
ところが、他の一面に近頃ではいろいろの軍需工場に多数の女が働
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