潟投w術協議会(一九四六年九月設立)。GHQからの指令に基づいて戦争中のペニシリン委員会は解散された。新しい協議会は各専門家の綜合研究のために八専門部を設けペニシリンその他抗菌性物質の綜合研究と調査に着手している。
財団法人遺伝研究所(一九四七年四月設立)
栄養食料学会(一九四七年五月設立)
国立栄養研究所(一九四七年五月)は厚生省公衆衛生院の国民栄養部を分離拡張したもので、これに試験所、相談所が附属している。
一九四六年以後久しく行われなかった学会、研究発表会などが各専門分野で盛んに行われ始めた。
日本医学会第十二回総会が一九四七年四月、五日間大阪でひらかれた。この学会で注目されたのは原子爆弾症の報告であった。GHQのサムス、ハウ、バーレ各大佐の特別講演があった。
日本物理学会の一九四七年度大会は東大でもたれた。その研究発表は約二四〇題目であった。
日本薬学会が四七年五月に、金沢医大でもたれた。研究発表は約六〇題目であった。
連合国の科学者たちが来朝した機会にもたれた講演会は次のようなものである。
レーニン大学数学教授マジャーエフ博士の「ソ連科学について」(四六年九
前へ
次へ
全166ページ中96ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング