謔ゥら当選、地方区で三名が当選している。四六年度の選挙で注目されたことは、意外に多数の教育者が立候補したことと、その中のある者は最高点を得ているけれども、半面に教育者の立場を選挙運動のために悪用した候補者の例も挙げられた。四六年度の選挙ではこの点の批難がおおいかくせなかったほどであったが、第二回の選挙には少くとも参議院には民主的教育者が当選したことで、いくらか一般人の教育の将来に対する見通しを明るくしている。
 一九四七年六月社会党を首班とする内閣が生れた。文相は森戸辰男になった。現在一千万名いる学童に対する六・三・三制の実施のために必要な財政的基礎を政府予算の中に確保出来ないことが、この一ヵ年間森戸文相の面している最大の困難である。日本の政府予算の歴史的性格の一つは厚生および文化のために予算ともいえない程の予算しかもってこなかったことである。戦時中予算のこの部分はすべて軍事費にくわれていた。一九四六年における議会でも、教員組合は勿論、文部省および一般の父兄たちは四七年四月から実行される六・三制のためにどれほどの予算がとられるかということに重大な関心を向けていた。大蔵省は終戦処理費の尨
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