サ状」という報告書を手交し、建設的な意見を伝えた。
吉田内閣の時代に入って全政策が反民主的方向をとるにつれ、前内閣のときその保守性で着目された田中耕太郎が文相に立身した。田中耕太郎は当時の方針を教育に生かして、「教育権」の独立を主張した。教育の政治からの独立という主張において、彼の政治的立場を明瞭にした。同時に田中文相は宗教教育を主張した。政府は議会で教育再建に関する決議六項目を発表したがそれは具体的に教育民主化を推進するようなものではなかった。四七年八月十五日に進歩党が提案した宗教情操教育に関する決議案は、田中文相の宗教護持説をただ卑俗化したものにすぎず一般の不評を買った。吉田内閣は自分の文部省の手で文教改革の骨組を決めてしまうことに努力した。きわめて保守的な教育刷新委員会が出来たのもこの結果であるし、人文科学振興委員会が設けられたのもこの意味にほかならない。
公民館運動も全国に起された。外見は全国的に文化センターをこしらえる運動のように見うけられた公民館の「設置運営のしおり」をみると、この本質が民主的とはいえない文化統制を意図したことは明瞭であった。公民館が協力者として連絡をも
前へ
次へ
全166ページ中60ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング